8月21日(月)10:00
星造園を一代でここまで築き、魚沼一の造園屋になりこれからと言うときに……。いまだに信じられない。「オー今日一杯やろうぜ!」と声がかかってきそうだ。
18日の18時頃、柏崎からの帰りのバスに訃報の一方が入る。要領をいなく女房の所に確かめの電話を入れる。数分後女房から電話が来る。今斉藤記念病院という。16頃倒れたという。そのまま、斉藤記念病院に走る。小倉と内藤が来ていた。でっかい声で星を呼ぶが、ゴーゴーといびきをかくばかり。奥さんに翔太に金太に雄太君それに娘さん、みんな呆然としている。
脳梗塞で太い官が破れて手術はできないと聞く。そんなばかな。
翌日の朝奥さんから電話があり、息を引き取ったと……。返す言葉が無い。
さっそく、見舞に行く。夕方同級生我が家に集まり相談をする。そして、みんなで星に会いに行く。
弔辞を依頼されたが、とても準備はできなく、弔辞には「安らかにお眠り下さい」と一行だけ書く。10時から告別式がはじまり、5人のお坊さんがお経を唱える。お坊さんの弔辞をと言う声が聞こえる。裸押合い祭の毘沙門天の「御灰像」を一緒に持って行くようにと、やっと話すことができた。
出棺には長岡からも大勢の同級生が来てくれた。みんなあ然としていた。