1月6日(日)
歴史的な日であると言っても大げさでない。
裸押合大祭は、1200年の歴史があり、正月3日に行われていたが、明治5年に政府は「太陽暦」を採用し、明治5年12月3日が明治6年1月1日となり、裸押合は明治6年は2月3日に行われる。2月は大雪と厳寒であることから、翌7年より3月3日に改められ、今日まで3月3日に行われている。145年間行われていた3月3日裸押合を、3月第1土曜日に変更した。
一昨年にこの問題が持ち上がる(提案され)。平日の大祭は、参拝客も少なく、昼間の餅まき、夜の押し合い参加者も少ない。このまま3月3日を守り推移すれば、参拝客も裸衆も減少する。そして、大祭を執行する多聞青年団員も大変だ。将来は神事中心のお祭りになるのではという危機感から、3月の第1土曜日にという意見だ。
精力的に会議を開催し、昨年は十数回の会議を重ねる。ほとんどの人は3月3日開催を望む・・・・・・!!私もできれば3月3日で実施したい……。3月3日を守るために大祭が衰退していいのか……。
今年に入り、このことを考えると目が覚めたり、眠れなくなる。昨日は今日の会議も反対が多い夢で目が覚め汗をかいていた。今日昼に1時間くらい横になったら、今日の会議が、大荒れになる夢を見てハッと目が覚める。
●14:00~15:00
普光寺総代会開催~3月第1土曜日に決定する。
●16:00~17:00(約100人)
区長、餅会・青年団OB会(歴代団長)、大祭勧簿委員、大祭当日奉仕者
寺世話人、商工会、観光協会等大祭関係者合同会議 真ん中に樺沢住職、右側に寺総代、左側に大祭役員。進行は島村総代長。
住職より挨拶があり、経過は大祭委員長である自分が説明した後、
住職が「3月の第1土曜日」としたいと話す。
多くの質問や意見が出、満場の拍手で3月第1土曜日に賛同をえる。
●17:30~「大祭委員・勧簿委員合同会議」 今年度の大祭予算が決定し、本年度大祭がスタートする。