11月6日(日)13:30~15:00
本講演会に先だって、午前11時~午後1まで、普光寺山門「天井画・板壁画」特別公開を行いました。
<講演会>13:30~15:00
会場は普光寺本堂にて
演題は「普光寺と板谷桂舟」 講師は、東京国立博物館学芸部主任研究員 瀬谷愛様
江戸時代、狩野派、土佐派、住吉派とあり、板谷家は、江戸幕府の御用絵師住吉広守の弟子慶舟広当が住吉家を継いだ後、板谷家に複したことに始まる。
板谷家代々の作品には、「江戸城本丸御殿障壁画」「東照宮縁起壁画」「源氏物語図」他イギリス大英博物館に所蔵されている「花鳥図」「倣古図」等がある。
板谷広当(1730~97)の三男広寿」(1817~36)が病気のため、狩野養信が弘延(1820~59)への相続を補佐する。山門は桂舟広延が書いたもの。谷文晁は1763~1840。山門は文政3年(1820)に着手し完成は天保2年(1831)。
今後の課題として、どのようにして板谷桂舟を知ったのか、誰が仲介したのか、どこで作成したのか・・・・。重要なのは、経年劣化による本格修理がが求められる。公開と保存が大切。国宝は年間60日を超えての公開はできないと結ぶ。
今まで、私自身は歴史とかには無頓着であったが、平成10年10月の秘仏毘沙門天のご開帳(住職一代一回限り67年ぶり)の事務局長に任じられ、いろいろと携わるようになったから。何故板谷桂舟であったのか!誰が仲介したのか!江戸に板を持っていったのか、浦佐で描いたのか!等々を考えただけでも胸がわくわくする・・・・・。
山門の双龍図は谷文晁が描いた。何故文晁が描いたのか・・・。
「板谷桂舟に描いてもらうために、井口新左エ門は板を江戸まで運ぶ途中に熊谷宿に泊まる。その時に居合わせた谷文晁が私に書かせよと押し問答の末根負けして谷文晁が描いたとされている。
この双龍図、昭和30年代にほとんど見えないようになり、平成9年1月日本画家長森一郎氏から修復していただく。今、思うともっとほかの方法があったのではと思う・・・・・・。
●普光寺(毘沙門堂)山門

●樺沢住職あいさつ、座っている方が講師の瀬谷さん

●講演会~70名くらいの方が勉強に来られた。
<文化財保存会設立総会>15:15~15:45
浦佐西山地域には、毘沙門堂をはじめ普光寺等には多くの歴史的価値のある文化財がある。今回の山門の板谷桂舟が、きっかけになり数回の会議を重ねる。これらの文化財を次世代に継承していくために、文化財保存会を設立しようと今日に至る。
会則を決め、会長に鈴木章二。幹事に今まで準備会を重ねてきた、羽賀不二夫、関久良、湯本美明、小島康義、関好和、佐藤剛、小島敏行、関常幸がなる。
地域の文化財を守り伝えるための活動にみなさんの参加をお待ちしています。