12月6日(日)曇り風やや強し
久しぶりの研修会への参加。参加者は12名。浦佐からは4名。
塩沢を7時出発、浦佐を7時45分に、帰りは浦佐に18時着。方面は村上市。
<耕雲寺>
県下曹洞宗のいわゆる四箇寺道場(慈光寺、雲洞俺、種月寺)の一つであるが、一番古い寺で、往時は仏殿、開山堂、禅堂、衆寮、庫院、回廊等七堂伽藍が立ち並び、常に100名余りの雲水が修業をしていた。明治19年に火災にあい、鐘楼(現在は山門になっている)のみを残す。直末、孫寺八百か寺と言われている。山林は100ヘクタールを有す。(現地ガイドと住職様より)
直江兼続等とゆかりの13歳の「本庄繁長」は、天文20年(1551)ここ耕雲寺において、父の仇伯父の小川長資を討ち国人領主として旗揚げする。
現地ガイドの案内で、イヨボヤ会館、おしゃぎり会館、若林家、町屋3件(酒屋、鮭、菓子)をまわる。
村上範士 青砥武平治は、鮭が産れた川に帰ってくる習性に着目し、世界で初めて鮭のふ化増殖に成功し、そのための川を30年の歳月をかけて作り、村上藩の財政を賄う。
若林家は故稲葉修衆議院議員(母親は若林家8代当主の妹)が住んでいたと言う。
まちづくりは、町民ひとりひとりの参加で行われていると感じた。まちづくりに学ぶところが一杯ある。