11月9日(月)13:30~
30回を迎える菊まつり。
30年前、新潟に浦佐の菊まつりありと言われるくらいにしようと、高い目標を持って始めた。弥彦神社の宮司さんに通うこと2~3回。宮司さんから苦労話(弥彦駅からリヤカーで菊を運んだと)
や、毘沙門様の会場は、弥彦の第2会場にどうですかとも言われた。(第2会場と言うことは、弥彦をおえ越せない・・・・・)
最初数年間の菊まつりの事務所は、駒形俊二さん(天王町)の家だった。初代の実行委員長は川島一郎左衛門氏。最初、専門の展示小屋でなくテントですればと言う声が多かったが、テントであればいつでも止められるので、やめられない専門の展示小屋を作る。確か、初年度300万円位集め小屋を作りスタートする。
良く人から言われた。「関は菊を作っているのか」とか、「農協の職員が何で菊まつりに一生懸命なんだ」と・・・・・。
田邉組合長が、農業協同組合であると同時に、これからは「地域協同組合」だ。地域行事に積極的に参加することが大切だとの声を後ろに、当時、裸押し合い大祭の最高幹部(30歳)を終えて、一日だけの祭りでなく、夏場も多くの参拝客が来るには、毘沙門堂と菊はマッチする。
そして、農家の皆さんは、スイカや作物を作る傍ら、どこの家にも菊を作って楽しんでいた。特に東地区は菊つくりが盛んで、地区の文化祭では菊花展が中心であった。その菊花展を毘沙門堂でするのはどうかと言うことでスタートしたことを覚えている。その時は、浦佐で菊を作っていた人は、湯谷のじいちゃんと床屋さんであった・・・・・・。
菊を作る人が高齢のため、だんだんと少なくなり数年後には、菊まつりが開催されなくなる。会員は最盛期の三分の一くらいか!
俺たちの年代が、菊つくりに挑戦し、この菊花展を継続させなくては・・・・・・・!!!!!


●表彰式で井口市長あいさつ

●浦佐小学生が素晴らしい菊を作る、教育長賞と浦佐小学校長賞が