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南魚沼市中国訪問記
           6月26日(土)~7月1日(水)

<1日目・6月26日
 中国東方航空MU296は、15時・1時間遅れで新潟空港を出発する。
私は中国へは2回目で、1999年に「昆明世界園芸博覧会」、西安、桂林と旅行したこと以来16年ぶり。
     ●新潟総領事館の「鐘(ショウ)」さん(今回の訪問の窓口)が見送りに来る。中国から今の便で来る。出発ギリギリまで「ショウ」さんを待つ。
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 上海空港は大きい。成田よりも相当広いと思う。入国審査後、荷物の受け取り、税関を通り中国着。上海から国内線で張家界市に。予定では上海空港19:35発張家界空港21:46着。到着が1時間遅れたり、入国手続き等に手間取り、国内線(張家界行)乗り場にようやく着く。
 19:35の出発時間が過ぎてもpm9341便(張家界空港行)のアナウンスはない。添乗員は張家界市に着いてからと来ていたので、これからどうなるんだろうか、もし欠航になれば次の便はあるのか等々不安になる。大勢の中国人で一杯になってきた。その時「南魚沼市中国訪問団様」と書いたプラカードを持った人と会う。一同ホッとする。添乗員の「易(イー)」さんです。添乗員に会い、一気にお腹がすいたので、安心して豪華!な夕食を食べる。
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 上海空港昨日は、嵐ですべて欠航で今日もその余波を受けているという。隣のゲートでは、12時間待たされたあげく「欠航」といわれたので、空港職員とお客がけんか腰でやりあっている。中国は1時間2時間は普通と考えていた方がいいと言われる。お腹も満たされ、添乗員がいて安心で、空港の椅子で眠る団員も・・・・、「イー」さんが欠航になりましたの言葉に、全員眠気が吹き飛ぶ、23時40分ごろだった。添乗員は、電話片手に会社に電話したり、ホテルの手配、明日の航空券の購入のために走り回り汗をかきながら対応をしている。「明日の航空券が予約できるかは微妙です」の言葉に不安になるが、明日13:45発、長家界市16:00着がとれてホッとする。
 ホテルの車が0:30分迎えに来る。1:45分ホテル着。長かった中国の一日が終わる。

<2日目・6月28日>
 普通の予定であれば、今日と明日の2日間は観光。湖南省の張家界の山が、1992年に世界自然遺産に登録された武陵源。総面積369平方キロ(南魚沼市585平方キロ)と拡大な地域で代表的なところを4か所見学することになっていたが今日はダメ。
 8:30起床。9:30朝食。ロビーに11:00集合。13時45分発の張家界行に乗るために再度上海空港に行く。
         ●これで張家界市に行ける。18時からの公式訪問は予定通りできるとホッとする。
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         ●16時30分張家界空港は良い天気で我々を迎えてくれた。後ろの山は世界遺産の「天問山」
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 ホテルは「陽光酒店」。荷物を部屋に置き、シャワーを浴び、ネクタイをし18時からの政府張家界市委員会・張家界市との会見に急ぐ。最初に張家界の方から歓迎の挨拶がある。その後私から挨拶する。
 挨拶の概要
 中国訪問団団長・南魚沼市議会議長の関常幸です。昨日は飛行機の遅い便の到着にもかかわらず、空港にお出迎いいただいたとのことありがとうございました。悪天候のために一日遅れでの到着となりました。今日の観光はまた来られますが、このアクシデントに対して、湖南省人民対外友好協会、張家界市、新潟総領事館の適切な対応と配慮に感謝いたします。欠航すると言う体験はお金では得ることのできない貴重な出来事でした。
 私たちの南魚沼市は6万人と言う小さな町ですが、10からのスキー場、豊富な湯量と数多くの温泉。そして日本一の米コシヒカリと銘酒八海山があります。そして、皆さんへのお土産として、日本の伝統工芸であります「塩沢つむぎ」お持ちしました。壁掛けと名刺入れです。今日は私たちのために素晴らしい会見と夕食にご招待いただきありがとうございます。
          ●会見会場です。会見はほぼ30分。二人で話をするのみです。それぞれ4回くらい話す。
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 その後会場を移し、18時30分から夕食会となる。紹興酒は中国人はほとんど飲まなく「白酒」。52度と言う。私の隣には常に湖南省友好協会の通訳「曽(ソウ)さんがおり、会話には不自由しなかった。ソウさんは筑波大学で学び多くの日本人の友人がいると言う。

 2日目ご苦労さまでした。会見は緊張する。どういう話が、質問が出るかわからないので・・・・・・・・。

<3日目・6月29日>
 今日は午前、午後と観光し、夕食後次の訪問地「常徳市」に向かう。ホテル到着は23時ごろか。
 午前は黄石賽(張家界国家森林公園)の見学。張家界の見学は長砂市(湖南省の州都)からと天文山専門の添乗員がつく。
           ●長砂市からきた添乗員「ハイカラ」さん。車中で張家界・武陵源・黄石賽景区のことについて詳しくレクチャする。
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           ●ロープウエーで山頂に
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           ●昼食会場~皆さん連日の寝不足で疲れ気未か・・・・スタミナをつけて天下の「天門山」に
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 天門山はむかし雲夢山と呼ばれていた。市内から南へ10㎞、標高1518mの「天門山」に出発。まず日本では考えられないが、張家界市一番の繁華街にロープウエー(6人)の乗り場があり、ロープウエーはまちの上を滑るように「神の山」に向かう。冷房が無く中は熱い。山に向かい涼しくなったが、添乗員一人暑くて具合が悪くなる。
           ●繁華街から「天門山」に向かうロープウエ。長さは世界一全長7455m、高度差1279m
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           ●天門山の桟橋は絶景。ガラス張りのところは思わず目をつむる
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           ●天門山・この穴をロシア空軍のアクロバット隊が通り抜けたと評判
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           ●急な999段を降りる
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 ホテルへ戻り、荷物を整理し、夕食をとり19時30分「常徳市」に向かう。
 
 常徳市は、新潟総領事「何平」さんの出身地で、今回の訪問も「何平」さんの支援無くしてありえない。中国内の日程は、すべて新潟総領事館が作る。

 常徳市までは、湖南省の友好協会の二人(キュウさんと通訳ソウさん)と旅行の添乗員(上海から上海までのイーさん。イーさんの旦那さん中学校の先生で子どもは4歳が一人と言う。イーさん張家界市、常徳市は初めと言う。ツアーでは日本人ほとんど来ないと言うことか・・・・!)

 常徳市ホテル「喜来登大酒店」着が22時頃か。何平さんの同級生「ラー」さんが出迎えて、ホテルのロビーで歓迎の宴が開かれる。23時には部屋に入る。軽く部屋のワイン、ウイスキーで三人でカンパイする。

<4日目・6月30日>
 常徳市は人口600万人。市の下に県がある。市街地は80万人。常徳市は1500年の歴史で新しいまち。市街地も整然とし、緑、川、湖が多くきれいなまちと言う印象を受ける。
 終日、副市長さんと市の外事担当と同級生のラーさんと湖南省の二人があんないする。ホテルを8時30分出発が20分遅れ。バスのカギを探していると言う・・・・・まあ1時間遅れは普通かと思いきや代替えのバスが来、乗車したら又降りる。我らの運転手が来る。
 ●精米工場「金健」
 製品は、米・油・粉・ラーメン・ブドウ糖他で、ほとんど輸出している。精米工場は日本からの技術で1998年に導入した。技術、製品は中国のトップで製品は日本ともほとんど変わらないと思った。
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 ●三一重工
 工場内は、整理整頓されており、生産高は8億人民元。高速道路を作る材料とかセメントも作る。工場で材料を作り、現場で組み立てる。本社は長砂市、中国の25%のシェアで中国で一番。職員は300人。技術・管理も日本から学ぶ。30名は日本人。あの東日本大震災の時、三一重工は「ポンプ車」を被災地に送る。
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 ●武陵酒工場
 お酒工場で、1950年に設立し1988年から寝かしている。生産は2530トン。今は1790トン。
 展示室には、歴史ものの酒があり一瓶100万円とか200万円などの銘酒がある。来場記念に揮毫をと言われ、「中日友好」2015.6.30 南魚沼市議長関常幸と書く。こんなに正式に書いたのは中学校の冬休みの宿題以来か・・・・・・。紙のスペースを考えて書けばよかった。みんな寸足らずになった。
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  ●ホテルに戻り「公式会見と歓迎宴会」12:00~14:00
 何をお土産にするか非常に迷った。(新潟総領事館と相談する)精米は持ち込み禁止であるが。一人が450g×2個で友人にと言えば大丈夫と思うが没収も覚悟で準備する。八海山清酒2合瓶を準備。それに塩沢「つむぎ」の大きい作品(壁掛け)が2個、そして名刺入れ。土産は決まったが、出発前に公式会見に参加する人数が把握できなく苦労する。常徳市は名簿が来た。ところが今晩の夕食は我々だけの予定であったが、計画に無かった市長と党の書記が面会、出席することになり、会見はないが、公の晩餐会となるようだ。
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 午後からは「常徳市の歴史館、文化館」と、今年の6月にオープンしたと「ハッピーウォーターワールド」を副市長さんの案内で訪れる。歴史館・文化館、完成は数年後と言うが、ハイテクを使い見事と言うしかないし、圧倒された。このような施設日本に無いのではないかと思った。
 そして、広大な公園に驚く。副市長さん6回来ていると言うが高いところが苦手で「観覧車」に初めて乗る。議長さんの案内だからとのった。乗っているときは、高いところが苦手と聞いていなかったから、普通に説明していたようだった・・・・・・・・。観覧車から降りて、通訳からその話を聞き、副市長さんに感謝の言葉を述べる。
 
 18時からの夕食が、市長公務のため遅れ、18時40分からの歓迎夕食会となる。
 白酒(武陵)が入り、常徳市の皆さんと我々も別れを惜しみながらたくさんごちそうになる。

 20時30分ホテル前で市長さんをはじめ、何平さんの同級生ラーさんに見送られ、常徳市:桃花源空港に向かう。向かって左から、同級生のラーさん、女性副市長陳華さん、市外事副局長白さん私の右二人名前覚えだしません。
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 空港に湖南省人民対外友好協会(秘書長・仇定高さん、通訳・曽卓然)と同級生のラーさんが最後まで見送りに来る。本当にありがとうございました。通訳のソウさんから、一緒に写真いいですかとツーショットで撮る。本当に通訳ありがとうございました。正直疲れるより気が張っていて体が動いたようだ。皆さん感謝し握手をし別れる。
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 空港では、私どもだけPIV室に通され、楽々したソファで休めれた。22時10発だが遅れることは気にしない。23時近くなり空港を発つ。
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 上海・虹橋空港に真夜中に着き、ホテル着が7月1日の2時。初日と同じホテル。着いた時刻も同じくらいだ。

 <5日目・7月1日>
 14時まで上海市内見学。上海市は人口2400万人、国の直轄都市で中国最大の都市、世界有数の世界都市であり、その市内総生産は日本円で約45兆円(日本の国家予算の約半分に匹敵)
 ・青ナンバーは普通車、黄ナンバーは大型車、白ナンバーは警察、黒ナンバーは軍隊。100番以下は政府の車。 
  ナンバーを買ってから車を買う。市内は日常的に渋滞しており、政策的にナンバーは150万円、大型車は300万円。上海以外でナンバーを買うと高速道入れない。新車は7週間ナンバーなしで乗れる。 
 ・マンションは100㎡以上は1億円。
 ・2400万人のうち600万人は市民権を持っていない。今は市民権持つのは難しい。中心地に住んでいて、結婚して15年たたないと市民権が出ない。外の方だと7年間。
 
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      ●添乗員の「イー」さんありがとうございました。
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 上海・東浦空港、中国東方航空MU271便は17時30分予定通り上海を出発する。
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 駐総領事館と南魚沼市議員有志との共催による「南魚沼市中国訪問事業」が事故無く無事終わったことにホッとすると同時に、国同士は良好な関係でないが、日本と中国の歴史を振り返った時、切っても切れない関係であることは誰もが承知している。一時期、日清・日露・満州戦争、第二次世界大戦と大変な時期があったが、未来志向でとらえなくては両国の発展はないと思う。
 それにしても、面積も人口も資源も豊富で世界の大国だ。まだまだ伸びる。ひとっりこ政策も見直すようだ。日本は国としての強い外交施策を持つことが大切だが、優柔不断はいただけない。隣国だから充分なる話し合いで解決を。合わせて民間レベルでは、地方自治体も含め積極的な交流は両国の未来にとってプラスになると思った。滋賀県は張家界市と姉妹都市になり31年目と言う。滋賀県の名前のついた素晴らしい建物もあった。
 2月頃であったと思ったが、同僚議員の中でも全体的には日程がなかなか取れないのが参加できない理由だが、中には絶対に中国はいやだと言う議員もいた。そういう議員もいても全然不思議でないし、その議員は日本の経済は中国抜きには考えられないとも言う。
 帰国し報告会を開催して、南魚沼市中国訪問団の解散となる。










 
 


 
 
by 2neyuki | 2015-06-26 17:01
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