8月9日(土)
<地鎮祭>9:00~10:00
今我が家は、88歳の父と87歳の母と住んでおり、倅夫婦(結婚して5年)が家に入ると言うことで、今の家の2階を倅夫婦(子供3人)のために改築し、台所や水回りも改修しょうとしたら、新築するほどかかるみたいなので、元屋敷(今の家から10メートル)に倅夫婦の家を新築することにする。その地鎮祭を行う。
石田棟梁曰く、「お寺さん」からの地鎮祭は初めてですと言う。二人は5年前に普光寺で式を上げ、方丈様から夫婦にしてもらったので、違和感なく地鎮祭もお願いした。

●本家の佐太郎、清水端、昌美屋もお祝いに来てくれる。

●元屋敷の柿の木の根元に、仁志(4男)の子分(猫)が眠っておりお祓いをする。
そして、屋敷の樹木(柿木2本、梨の木2本)のお祓いもしていただく。
<南魚沼市非核平和集会>15:00~16:30
市役所の大会議室に60人くらいの人たちが集まっただろうか、黙とうの後に非核平和集会の会長の挨拶があり、市長(代理副市長)につづいて私も挨拶する。
「被ばく70年へ生きぬいて」の講演を聴き、何回は身震いがした。講師は、新潟県被爆者の会事務局長の山内悦子さん。山内さんは昭和3年生まれ。父親の転勤で平成19年に神戸市から広島市へ移住。昭和20年8月6日、広島市に原爆投下。爆心地から約2.6キロメートル付近で被爆。9月には親の実家の富山県高岡市へ移住。
被爆当時の家の中の様子、外の様子、本当に「地酷絵」とはこういうことを言うのかと思った。
私も3年前にあの「広島平和記念資料館」を見学した時に、被ばく人形3体(成人女性、女学生、少年)が焼けただれた両腕を前につきだし、ボロボロの服でがれきの中をさまよう人形を見たときは、戦争は絶対にしてはいけないと強く思った。
今、集団的自衛権や原子力発電所の再稼働が容認されようが、戦争だけは絶対にしてはいけない。しかも唯一の被爆国として、この声は世界にさらに強く発信しなくてはならない。
●地鎮祭をお祝いし、家の前でバーベキュー大会を!