7月5日(土)9:00~11:30
上越文化会館大ホールにて開催される、市長と二人招待される。
<プログラム>
9時開会 アトラクション(太鼓)
9時10分 記念式典
・上越市長、実行委員長あいさつ
・来賓あいさつ、紹介
・高田開府400年記念 再現映画「三城映画」上映
10時25分 記念トーク「上越市の礎を築いた領主たち」~未来へのメッセージ~
・徳川家18代当主「徳川恒孝氏」
・上杉家17代当主「上杉邦憲氏」
・榊原家17代当主「榊原政信氏」
・伊達家18代当主「伊達㤗宗氏」
コーデネータ
・松平定知氏
1614年松平忠輝公(浦佐の古山門寄進、伊達正宗のいろは姫を妻に)が高田に入城し400年。紋付はかまの村山上越市長は「先人に感謝し、次なる百年への飛躍を誓う」と含蓄ある式辞であった。
4人の殿様のトークは、進行の松平氏により、会場に終始笑いがあり飽きることなくあっと言う間に1時間が過ぎた。
・上杉謙信は70回戦って2回負けただけ。領土欲は無く儀のために戦った。
・忠輝公は徳川家康の6男で、この方は不思議なかたです。当人の能力は素晴らしものがあったがかわいそうな人だった。家康公には必ずしも愛されていなかった。
・伊達正宗が総奉行で高田城を建てる。1614年3月着工で7月に完成させる。
・伊達正宗はスペインに行く、キリスト教と航海術を得る。幕府はキリスト弾圧、航海術は得る。
・忠輝公は大阪の夏の人に遅れ、家康の逆鱗に触れ蟄居。それで、いろは姫と離婚。(姫は再婚せず。このことからキリシタンであったのではないかと推察。一人妻と言えば黒田勘兵衛もそうでキリシタンであったと推察される!)
・忠徳公が眠っている菩提寺の和尚様に、夜な夜な忠輝公が枕元に出てくると言われ、御霊が安らかに眠れないのであればと、徳川18代当主恒孝公が、忠輝公を30年前に蟄居からご赦免する。その記事が新聞に掲載され、各界に波紋を広げるが、良かったと思っている。
・榊原公はまれにみる豪快で豪遊が過ぎ高田にやられた。
松平氏の要所要所での歴史時代の解説とリードで、4人の殿様の話を興味深く聴くことができた。
「子どもたちに誇りをもたせることがまちの将来につながると思った」
●アトラクションで「高田開府400年」の記念式典が幕を開く
●右端が村山上越市長、次いで植木実行委員会長、佐藤議長、中野教育長)
●記念トーク(右から、伊達、榊原、上杉、徳川、松平各氏)
●昼食会場