11月16日(金)
11月には珍しい程、いい天気になる。午後4時皆に送られて自宅を出る。大勢の人が見送りに来た。63歳余りにも早く、命とはこれほどまでにあっけないものなのか・・・・・。
酒もたばこもやらず、同級生の中では、健康には一番気を付けていたとおもう。早朝のウォーキングをしたり、カメラはプロ並みで、最近市展で入賞した。お孫さんと散歩したり、我々同級生では優等生だった。いまだ信じられないが、これが与えられた寿命なのか・・・・・。
11日市長選挙告示日であったが、坂西音一さんの葬儀見送りに行ったとき、鈴木かよこから坂西勝実が救急車で昨日立川病院に運ばれたと聞く。自分は選挙で動きが取れなかったから、すぐに同級生に連絡し、立川病院に行ってもらう。危篤で大変な状況が分かる。心臓が止まり機械で動かしていると言う。
13日午後、誠と立川に見まいに行こうと思ったら、14時ころ長岡から息を引き取ったと連絡が入る。
お母さんの話では、9日に胸がおかしいと言うことで夕方、かかり医に行き薬をもらう。10日の朝胸が痛いと言うことで、車で二人で病院に行く。病院の玄関の前に倒れてそのままですと。もうその時に心臓が止まった。3時間心臓マッサージをし、心臓が動いたので立川に向かったと言う。お父さんも懸命に頑張ったけどダメだったと目を真っ赤にし話してくれた。
坂西からは「人権擁護委員」を引き受けてくれて、亡くなる3日前には、三用の保育園か小学校で活動をしていたと聞く。最初の頃は「常から言われ、役を引き受けたが、何もわからず大変だ・・・」が、挨拶言葉であったが、ようやく1年が過ぎて仕事もわかってきた頃なのに。