4月20日~22日
宮城県の柴田町と東松島市に叔父さんがおり、昨年の3.11の時は5日間位連絡が取れず本当に心配をした。今回自宅を訪れるのは7~8年ぶりくらいだろうか。
今回は、住民の手で6年ぶりに開催したマラソンに参加するためと、東松島市と石巻市の被災地を見てくることが目的で出かける。
マラソンは叔父さんが発起人で昨年再開する予定であったが、震災のために一年遅れる。柴田町マラソン実行委員会の皆さんは、浦佐の山岳マラソンとグルメマラソンに視察に来ていたこともあり、柴田マラソン(愛称・一目千本桜マラソン)に参加する。
<柴田さくらマラソン>
●塚田さん一家が来ており、明日の成功と復活をを記念し前祝を行う。

●会場は陸上自衛隊船岡駐屯地

●お母さんは5キロ・ウォークに参加11時げんきに出発

●奈々ちゃん5キロ完走。後ろに明ちゃんがお母さんの応援で走る(12時20分頃ゴール)

●12時40分10キロの部がスタートする。


膝の半月板をを痛め、大会に参加するのは3年ぶり。3年間ジョッキングもされなかった。
昨年の秋ごろから痛みも無くなり、4月から今日のために、7回・4キロくらいのジョッキングを行い今日に備えた。3年ぶりにジョッキングを再開したから、股関節、腰、背中、筋肉痛と痛みが発生し少しづづ慣らしながらだったが、18日、19日と背中一帯が痛くなったときは、走れないかなとも思ったが今日を迎えた。
タイムは、1時間2分49秒~10キロ60歳以上の部110名中77位。
10キロ総合順位724位(1,185名参加)
タイムは予想より10分くらい早かった。
<東松島市 石巻市>
叔父さん、叔母さん、昨年の3.11、石巻市のいつものスーパーでなく、別のスーパーに買い物に行っていて、津波の難を逃れたという、人間の運命などは分からぬものだ・・・・。
●自宅の庭にて

●ほとんど復興が進んでいない。カメラを向けられなかった。

●鯉のぼりが上がっていたが、青い色ばかり。3.11が無ければ子供さんの声が聞こえてくるようだ。

●石巻市病院も廃墟同然だ。そのまま・・・。

●石巻市中心街、時々車が通るのみ閑散としている。いつ賑わいが戻るのかと、叔母さん涙ぐむ。

約1時間半被災地を案内してもらったが、叔母さんは、そのたびに目を真っ赤にし泣いていた。この場所に来ると心臓がドキドキすると当時の話をしてくれる。
●叔父さんが仕事をしている植木屋さんの社長さんと。ここで別れ浦佐に帰る。

地震はいつ来るかわからないし、日本列島は地震国だから、そう思って生活し対応するしかない。津波の被害は地震のそれとは違う災害をもたらす。地震の後に発生する災害だから、今回の津波を教訓に街づくりをするしかない。
それにしても福島は大変だ。放射能災害は人災だ。日本のエネルギー政策を180度見直す必要がある。原子力発電所から徐々に自然エネルギーに転換することが大切だ。