12月9日(木)8:30~18:00
参加者は17名、市職員4名、県職員1名の計22名8:20分に浦佐を出発し、黒崎PAでグリーシグマの皆さん3名と合流し午前視察の阿賀町(旧津川町)に向かう。
狐の嫁入り屋敷で出迎えてくれたのは、二十数年ぶりであろうか、県農業講習所で2年間同じ釜の飯を食べ、寝起きを友にした長谷川修一(阿賀町副町長)が待っていてくれた。
役場の阿部氏、当時町職員でまちづくりの中心にいた後藤氏、町並み整備委員の田崎氏(床屋さん)、そしてまちづくりの仕掛け人(ザ・マン)矢部氏から、まちづくりの経緯を聞く。矢部氏の青春はまちづくりそのものだと思った。
津川のまちづくりは昭和の60年代から矢部さんらを中心に始まり、20年にもおよぶ。今矢部さんは、まちづくりの一線から退いたと言っている。まだまだ若いのに……。まちづくりもまだ中途半ばのような気がするし、まちづくりに終わりは無いのにと思った。
あの矢部氏の津川を思い・まちづくりに対する情熱的な活動や、取組みが今一行政や住民からけぶたがれたのだかもしれない……。しかし、あの矢部氏の行動とエネルギーにはには見習うところが大きい。
●懐かしい長谷川に対面する
●嫁入り屋敷にて町職員阿部氏から説明を受ける


●床屋さん店主の店先で田崎氏から家の改修について

●復元「塩谷橘」の町屋で昼食、当主の矢部氏から「まちづくりのドキュメント講話」


●後藤氏とグリーシグマの相楽さん(塩谷橘にて)

●地元では「とんぼ」と呼ばれ、1610年頃作られた雁木

午後3時頃から、新潟市民病院周辺の「鳥屋野潟湖南まちづくり協議会」について勉強する。
・H14年頃から地権者ときょうぎする。
・H16年 土地区画整理事業に係る準備委員会設立
・H19年に市民病院オープンする。(33科、660床、駐車場1660台)
・H19,20年と自主的なまちの管理、運営組織についてコンサルをいれて研究
・H20年 協議会規約、建築協定、屋外広告物協定素案を作成
・H21年 「まちづくり協議会」設立
ここでの研修は、27年に開院する基幹病院周辺のまちづくりに大変勉強になった。
農地転用や開発行為に対する法律をクリアし地権者の同意を得て、何よりも景観を損なわない用にする事が第一義である。
市長は病院周辺の土地利用計画を手がけていると、言うような事を言ったが、どこまでどのように進んでいるのか確認する必要があると思った。
●新潟市職員3人からの説明を聞く


車中で参加者のまちづくりの熱気さめづ、浦佐着後有志で懇親会を行ない盛り上がる。