3月2日・3日
この裸押し合い大祭は、大同2年今から1202年前に坂上田村磨呂将軍が蝦夷征伐のおり当地に立ち寄り、国家安穏と戦勝を祈願し、併せて五穀豊穣のため「毘沙門天」を祀ったと伝えられている。
その、「秘仏毘沙門天」は「別行殿(宝蔵殿)」に安置され、住職一代に一回しかご開帳できない。最近では平成10年と昭和6年に行なわれた。
3月3日に行なわれる裸押合い大祭でお参りする「毘沙門天」は、前立て本尊で毘沙門堂に安置されておる。3月3日は一年に一回のご開帳で誰よりも早く、「福」を毘沙門天から授けて頂こうと参拝することから押し合いが始まった。
今年も2日、3日と10万人の多くの参拝客で賑わった。この大不況を克服すべく、毘沙門天からの「福」を持ち帰った。
<3月2日>
多聞青年団最高幹部のローソク奉納記念撮影が終るとお祭り本番です。
第57代多聞青年団長と
「還暦」撒与講中72名集まる。中学校卒業以来の同級生もいたり……午後2時から浦佐屋・毘沙門堂と還暦行事は続いた。
<3月3日>
多くの参拝客で賑わう。昼間は「毘沙門様本尊係」としてそして、東京やまと会・荒川区県人会・友好都市いすみ市の皆さんの案内をする。夜は午後5時より裸となり、市長・議長他30名の座敷で御神酒を飲み、我家が宿元の穀種撒与(20時)の大和中学校長先生、弓張り撒与(22時)のKJ高校校長先生の支度案内をする。ゆえに、還暦(同級生)の方にはほとんど行けなかった。
●大祭名誉会長 井口市長挨拶
●還暦「撒与講中」の餅撒き
●還暦「撒与講中」大名行列・金杯奉納(撒与者・賢三氏、馬は屈強の久良・誠・柳です)
●大名行列の警備につくローソク係の仁志と北村さん
●常蔵10代目の孫です。泣いたとき「サンヨー・サンヨー」とあやすとニコニコします。未来の団長 です。
●祭りが終り23時、0時と裸の押合い参加者が帰ってくる。青年団の大五郎、仁志もそして、
東京から参加の剛規に御灰像2体・金杯1個が授かる。これは毘沙門天が進さんの供養の
ために「つくしんぼ」に授けたと……。又、又話が続く……。最後に寝た人は3時とか!!!